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9月20日(月) [矛盾について(その54)]

 「ぐち」が出るのは人に負けたときです。勝ちたいのに負けてしまった。そんなとき「こんなはずじゃない」が出ます。勝つはずなのです、なのに負けてしまった。だからこれはほんとうの自分じゃないと負け惜しみを言う。
 ここにも「人に勝ちたい」が顔を出しています。「むさぼり」は「人より少しでも多く」でした。「いかり」は「人の先を越したいのに、越されてしまった」こと、そして「ぐち」は「人に勝ちたいのに、負けてしまった」ことへの無意識の反応です。どれもこれも「オレが、オレが」と前にしゃしゃり出ようとしています。
 釈迦はこれを「我執」と言います。
 我執とは「われにとらわれる」ことで、その反対が無我です。「われにとらわれない」こと。無我とは「われがなくなる」ことではありません。われがなくなるなんて、どういうことか見当もつきません。時にはわれを忘れたり、われを見失ったりしますが、忘れっぱなし、見失いっぱなしということはありません、まもなくわれを取り戻します。デカルトが言うように、われとは思うことです。何かを思う限り、そこには必ずわれが付き添っています。
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