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11月18日(金) [矛盾について(その472)]

 金子氏の印象的なことばです、「現世利益は、現在の新興宗教では教えの根本になっているようでありますけれども、私はそれは別に新しいことではなくて、日本に神代の昔からあるシャマニズムだと思っております。そしてそれはほんとうの道でないということを明らかにしたものが、あの『教行信証』だと思うんです」。
 シャーマニズムと言いますと、卑弥呼が頭に浮かびます。『魏志倭人伝』に「鬼道に事(つか)へ、能(よ)く衆を惑わす」という記述があることはよく知られていますが、この鬼道がシャーマニズムでしょう。要するに呪術のことで、シャーマンである卑弥呼は呪術の力で恍惚状態に入り、カミと心を通わすのです。
 さて、日本古来のシャーマニズムはほんとうの道ではないことを『教行信証』が明らかにした、とはどういうことでしょう。
 呪いを通じてカミ(後にはホトケも)の力を借り、禍を避け福を求めるのがシャーマニズムであり、それが今日の現世利益の宗教につながっているのは確かでしょう。そして禍を避け福を求めるという場合に、古今を通じてもっとも一般的なのが、やはり病を避け健康を求めることです。
 昔も今も、世の善男善女は、大きな病に罹らず日々健康に暮らせるのが何よりだと思い、それを神仏に祈ってきたのです。その祈りには切なるものがありますが、それがどうして「ほんとうの道」ではないのでしょう。どうして親鸞はそれを『教行信証』で否定したのでしょう。

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