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「いのち」の系統樹 [『歎異抄』を聞く(その56)]

(3)「いのち」の系統樹

 この地球上に「いのち」が誕生したのは38億年前だと言います。海のなかに震えるような「いのち」が生まれた(その元となるものが宇宙からやってきたという説もあるそうですから、だとしますと「いのち」の歴史はさらに遡ることになります)。そしてその「いのち」は次々に子孫を残しながら、長い時間をかけて進化の過程をたどります。それは次第に細かく枝分かれしていく系統樹の形であらわされますが、その小枝の先端にそれぞれの種がいるわけです。
 「いのち」の系統樹は一本の樹ですから、それぞれの種はどんなに遠く枝分かれしていても、もとをたどれば「ひとつのいのち」です。
 これは、ぼくの年齢が38億歳であることを意味します。海のなかに生まれた震えるような「いのち」が38億年の歳月をかけてぼくという「いのち」に進化してきたのですから、ぼくは紛れもなく38億歳です(もしその進化の糸のどこか一ヵ所でも切れていれば、ぼくという存在はこの世にありません)。そしてぼくの隣でだらしなく寝そべっている猫もまた同じく38億歳です。生きとし生けるものはみな「ひとつのいのち」を生きているのです。だとしますと「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」ということにならないでしょうか。
 生きとし生けるものはみな「ひとつのいのち」を生きているという感覚から「殺すなかれ」という戒(不殺生戒)が生まれてきたに違いありません。母がアサリの味噌汁をつくろうとしてグラグラ煮立ったお湯にアサリを入れるとき、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えていたのを思い出します。

タグ:親鸞を読む
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