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「ひかり」と「こえ」と [はじめての『高僧和讃』(その89)]

(9)「ひかり」と「こえ」と

 次の和讃です。

 「無碍光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜(むみょうじょうや)の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ」(第47首)。
 「無碍光仏の名号と、その光明はひとつにて、無明長夜の闇を破し、衆生の願い満たしたり」。

 『論註』にはこうあります、「かの無碍光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ」と。阿弥陀仏は光明というかたちをとり、また名号となってわれら一切衆生の願いを満たしてくださるということですが、この光明と名号の関係について親鸞は『教行信証』でこう言っています、「徳号(名号です)の慈父ましまさずば、能生の因かけなん。光明の悲母ましまさずば、所生の縁そむきなん」(行巻)と。
 名号が往生の因で光明がその縁であるというのですが、要するに、われらが救われるかたちとして「ひかり」と「こえ」があるということです。こころに「ひかり」が射し込むというかたちか、あるいは「帰っておいで」の「こえ」が胸に沁み込むというかたちか。こう言った方がいいかもしれません、「ひかり」は「こえ」として届き、「こえ」は「ひかり」として届くと。
 さて「衆生の志願をみてたまふ」という句に注目したいと思います。衆生の志願とは何かということです。
 ぼくらにはさまざまな願いがあります、病気になりませんよう、収入が増えますよう、家族仲良く過ごせますよう、長生きできますよう、などなど。しかしこれらの願いが満たされるのではなさそうです。「帰っておいで」の「こえ」が聞こえたあくる日に病気になるかもしれませんし、「ひかり」に照らされた次の日に経済的に困窮するようになることもあるでしょう。

タグ:親鸞を読む
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