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本文23 [はじめての『尊号真像銘文』(その108)]

(11)本文23

 「宜哉源空(ぎさいげんくう)」と申すは、「宜哉」はよしといふなり。「源空」は聖人の御名なり。「慕道化物(ぼどうけもつ)」といふは、「慕道」は無上道をねがひしたふべしとなり。「化物」といふは、「物」といふは衆生なり。「化」はよろづのものを利益すとなり。「信珠在心(しんじゅざいしん)」といふは、金剛の信心をめでたき珠にたとへたまふ。信心の珠をこころにえたる人は、生死の闇にまどはざるゆゑに、「心照迷境(しんしょうめいきょう)」といふなり。信心の珠をもつて、愚痴の闇をはらひ、あきらかに照らすとなり。「疑雲永晴(ぎうんようじょう)」といふは、「疑雲」は願力を疑ふこころを雲にたとへたるなり。「永晴」といふは疑ふこころの雲をながく晴らしぬれば、安楽浄土へかならず生るるなり。無碍光仏の摂取不捨の心光をもつて、信心をえたる人をつねに照らしまもりたまふゆゑに、「仏光円頂(ぶっこうえんちょう)」といへり。仏光円頂といふは、仏心をしてあきらかに信心の人の頂をつねに照らしたまふとほめたまひたるなり。これは摂取したまふゆゑなりとしるべし。

 「宜哉源空」の「宜哉」とは、よいということで、「源空」は聖人のお名前です。「慕道化物」の「慕道」とは、この上ない悟りを願い慕うべきだと言うのです。「化物」と言いますのは、物は衆生のことで、化はすべてのものに利益を与えるということです。「信珠在心」と言いますのは、金剛のように堅い信心を立派な珠にたとえているのです。信心の珠を心に得た人は、生死の闇に惑わされることがありませんから、「心迷境を照らし」と言うのです。信心の珠で、愚かさの闇を払い、明るく照らすというのです。「疑雲永晴」の「疑雲」とは、願力を疑う心を雲にたとえているのです。「永晴」とは、疑いの心の雲が永久に晴れますので、安楽浄土へ必ず往生できるというのです。無碍光仏の摂取不捨の心光で、信心を得た人をいつも照らしてくださいますから「仏光円頂」というのです。仏光円頂というのは、仏の心が信心の人の頂をいつも明るく照らしてくださると、ほめているのです。それは摂取していただけるからこそだと知るべきです。

タグ:親鸞を読む
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