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本文5 [『教行信証』精読2(その181)]

(12)本文5

 天親讃の後半です。

 功徳大宝海1に帰入すれば、かならず大会衆2(だいえしゅ)のかずにいることをう。蓮華蔵世界3にいたることをうれば、すなはち真如法性の身を証せん。煩悩の林にあそんで神通を現じ、生死の園にいりて応化4(おうげ)をしめすといへり。(帰入功徳大宝海、必獲入大会衆数、得至蓮華蔵世界、即証真如法性身、遊煩悩林現神通、入生死薗示応化)
 注1 本願名号のこと。
 注2 浄土の仲間。
 注3 浄土のこと。
 注4 衆生済度のためさまざまな姿を取ること。

 (現代語訳) 天親菩薩は浄土論において次のように言われます。本願名号の大宝海に入ることができましたら、もうそのとき浄土の仲間になることができます。安楽浄土に至ることができましたら、仏の悟りの身とならせていただけます。そして衆生の煩悩の林に遊びながら不思議な力を発揮し、生死の園に分け入って衆生済度のためにさまざまな姿を示すでしょうと。

 浄土論は礼拝・讃歎・作願・観察・回向という五つの行(五念門)のそれぞれに対応して、五つの功徳(五功徳門)が得られると説きます。それが近門(ごんもん)・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)ですが、ここの第1句「功徳大宝海に帰入すれば」は近門、第2句の「かならず大会衆のかずにいることをう」は大会衆門、第3句の「蓮華蔵世界にいたることをうれば」が宅門、第4句の「すなはち真如法性の身を証せん」が屋門、そして第5・6句の「煩悩の林にあそんで神通を現じ、生死のそのにいりて応化をしめす」が園林遊戯地門のことをそれぞれ詠っているのです。
 そこで考えたいのは、この五功徳門相互の関係についてです。浄土論の説き方では、まず近門を得、次いで大会衆門、そして宅門というように、段階的に進んでいくように思えます。そして正信偈の言い方もまた、「功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆のかずにいることをう」とか「蓮華蔵世界にいたることをうれば、すなはち真如法性の身を証せん」というように、一見したところ、一つの功徳を得た後、次の功徳を得るというように相継ぐような印象をうけますが、果たして事態はそのようになっているでしょうか。

タグ:親鸞を読む
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