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弥陀の智願海水に [親鸞の和讃に親しむ(その89)]

(9)弥陀の智願海水に

弥陀の智願海水に 他力の信水いりぬれば 真実報土のならひにて 煩悩・菩提一味なり(第23首)

弥陀本願の海水に、信心の水いりぬれば、真の浄土のこととして、煩悩・菩提一味なり

本願の海に入ることができますと(自分で入ろうと思って入るのではありません、気がついたらもう入っていたのです)、煩悩と菩提はひとつであると詠われます。「煩悩即菩提」は大乗仏教の究極の真理とされ、煩悩をほかにして菩提があるわけではないことに目覚めることが求められます。さてしかしこれは何ともパラドキシカルな言表であり、近づきがたい難解さがあります。そもそも菩提(ボーディ)とは仏の悟りのことであり、「一切の煩悩から解放された、迷いのない状態」(『岩波仏教辞典』)とされます。としますと、「煩悩即菩提」とは、煩悩と煩悩から解放された状態とがひとつであるということですから、これはもうまったき矛盾と言わなければなりません。いったいこのまったき矛盾が窮極の真理であるとはどういうことか。そこで「弥陀の智願海水」の登場です。本願の海水に入ることができますと、この矛盾が矛盾でなくなるのです。

まず言わなければならないのは、本願の海水のなかではじめて煩悩に気づかされるということです。本願の海に入ってはじめて煩悩が煩悩になるのです。煩悩といいますと、貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)の三毒が上げられますから、「ああ、自分のなかにはこの三毒がある」と自分で気づき、みんな多かれ少なかれ煩悩をもっていると思うものでしょう。しかしこれは煩悩に否応なく気づかされているのではありません。自分で自分の煩悩に気づくときには「上げ底」がしてあるものです。自分のなかには貪りや怒りがあるのは確かだが、同時に、困っている人をたすけようという思いもあるし、人の喜びを見て自分も喜ぶことができるとも思っています。自分には煩悩という悪もあるが、それを補って余りある善もあると思っているのです。それに対して煩悩に否応なく気づかされるということは、その気づきに打ちのめされるということです。気づかされた己の煩悩の前に、もう申し開き様がなくうなだれるということです。

さてそのとき、その気づきをもたらしているのが本願であるという気づきもあります。本願はわれらに煩悩の気づきをもたらし、そんな煩悩をもったままのわれらを摂取不捨してくれるのです。これが「煩悩・菩提一味なり」ということです。


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浄土の大菩提心は [親鸞の和讃に親しむ(その88)]

(8)浄土の大菩提心は

浄土の大菩提心は 願作仏心(がんさぶっしん)をすすめしむ すなはち願作仏心を 度衆生心となづけたり(第20首)

大菩提心なるものは、願作仏心にほかならず、願作仏心そのものが、度衆生心にほかならず

願作仏心とは文字通りに「仏になることを願う心」ですが、さあそれがそのまま度衆生心すなわち「衆生を済度する心」であると詠われます。自分の救いを願う心がそのまま衆生を救う心であるというのです。普通は、まず自分の救いを求め、それが実現した上で他の人を救おうとなりますから、両者は別であると思います。ところがそれがひとつであると言うのですが、これをどう考えたらいいのでしょう。まず自分、次いで他の人というのは、「わがちからにて」救いを得ようとする場合です。しかしいまは「浄土の大菩提心」のことが言われています。

明恵が『摧邪輪』で法然の『選択集』を批判するのに、真っ先に上げるのが「ここには菩提心がない」ということでした。仏教徒にとって「仏になろうとする心」をもつことが第一であるはずなのに、法然はそんなものは必要ないという、何という妄言か、というわけです。親鸞はその批判に対して、「われら凡夫はわがちからにて仏になろうとしてもできるものではない、それを憐れんで如来から菩提心が与えられるのである」と応じます。それが「浄土の大菩提心」であり、われらが菩提を願うより前に、如来からわれらの菩提が願われているのだというのです。

さてこのように菩提(救い)が如来から与えられる(願われている)ものであるとしますと、自分の救いと他の人の救いは別ものではありません。まず自分、次いで他の人というように分けられるものではなく、自分の救いが願われていること(願作仏心)は取りも直さず他の人の救いが願われていること(度衆生心)に他なりません。ただ、願作仏心も度衆生心も、それに気づいてはじめて姿をあらわすのであり、気づかなければ影も形もありません。ですから、それに気づいた人は、まだその気づきのない人に、早く気づいてほしいとこころから願わずにはおれません。


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超世無上に摂取し [親鸞の和讃に親しむ(その87)]

(7)超世無上に摂取し

超世無上に摂取し 選択五劫思惟して 光明・寿命の誓願(第十二願の「光明無量の願」と第十三願の「寿命無量の願」)を 大悲の本としたまへり(第19首)

一切衆生すくわんと、五劫のあいだ思惟して、光明・寿命の誓願を、大悲のもととしたまえり

ここで弥陀の悲願として「光明無量の願」と「寿命無量の願」が上げられます。「アミターバ(無量のひかり)」と「アミターユス(無量のいのち)」としての阿弥陀仏が登場してくるのです。実体としての「わたし」が骨身にまで染み込んでいる思い込みにすぎないことを見てきましたが、その思いに骨の髄まで囚われていることは「わたし」がみずから知ることはできず、阿弥陀仏から気づかせてもらうしかないことを、浄土門は教えてくれるのです。実体としての「わたし」への囚われは、実際には「わがもの」への囚われとして現れますが、そのことを自分で知ることはかないません。それは外部から気づかせてもらうしかありませんが、その外部を浄土門は「アミターバ」「アミターユス」として形象化して教えてくれるのです。

初期経典において釈迦はこんなふうに言います、「『わたしには子がある。わたしには財がある』と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか」(『ダンマパダ』第5章「愚かな人」)と。実体としての「わたし」があるという思いに囚われていることから、「わが子」、「わが財」に囚われることになり、それがあらゆる苦しみの根源であることを釈迦は明らかにしてくれました。さて釈迦はこの囚われを彼みずから知ることができたのでしょうか。もしそうだとしますと、彼はもう囚われの外部にいたとしか考えることができませんが、それは釈迦をわれらとはまったく異質の存在として特別扱いすることです。彼もまたわれらと同じ人間であるとしますと、それをどこかから気づかされたと考えるしかありませんが、浄土の教えはそれを「アミターバ」「アミターユス」からと教えてくれるのです。


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像末五濁の世となりて [親鸞の和讃に親しむ(その86)]

(6)像末五濁の世となりて

像末五濁の世となりて 釈迦の遺教(ゆいきょう)かくれしむ 弥陀の悲願ひろまりて 念仏往生さかりなり(第18首)

末法の世となりはてて、釈迦の遺教かくれたり。弥陀の本願ひろまりて、念仏の声しきりなり

「釈迦の遺教かくれしむ 弥陀の悲願ひろまりて」という言い方をそのままに受けとめますと、釈迦の教えと弥陀の本願は何か対立するものであるかのような印象になり、弥陀の本願は釈迦の教えではないかのように理解されかねません。そうなりますと、釈迦の教えを説く聖道門と弥陀の本願を説く浄土門は水と油のようにまったく相容れなくなってしまいますが、そのように受けとめるべきではないでしょう。釈迦の教えに、聖道門的な説き方と浄土門的な説き方があり、時代とともに、前者がすたれ後者にひかりが当たるようになってきたと理解するべきです。

聖道門的な説き方とは、釈迦の教えを理詰めに説くものです。たとえば龍樹の『中論』。この書物は、釈迦の無我の教えを説くのに、いわゆる帰謬法をとり、もし世界のありようが無我でないとすると、どんなにおかしなことが起るかを理を尽くして明らかにしていきます。そうして結論として無我が正しいことを証明するのです。その一端を紹介しますと、こんなふうです。もし「わたし」という実体(他のものとの関係から独立して、それだけとしてあるもの)があるとしますと、たとえば「わたしが去る」とき、まず「わたし」という行為主体があり、しかる後に「去る」という行為をすることになります。そのとき「わたし」という行為主体と「去る」という行為はたまたま結びついただけで、その間に何のつながりもありません。両者は別ものですから、行為がなくても行為主体は存在し(まったく何もしない主体がある)、また行為主体がなくても行為は存在する(行為だけがあって主体がない)ということになります。しかしそんなことは「アリスの不思議の国」でもない限りありそうにありません。やはり「行為によって行為主体がある。行為主体によって行為がはたらく」(『中論』第8章「行為と行為主体との考察」)と言わなければならず、かくして「わたし」は実体ではないという結論に至ることになります。

これが聖道門的な説き方ですが、さてこれで「わたし」は実体ではないことを、たんに頭だけではなく身体で納得できるものでしょうか。「それはそうだが」という思いが残らざるをえないのではないでしょうか。われらにとって実体としての「わたし」はもう骨身に染み込んでいるからです。そこで浄土門的な説き方が登場することになります。それを次の和讃で考えてみましょう。


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五濁の時機にいたりては [親鸞の和讃に親しむ(その85)]

(5)五濁の時機にいたりては

五濁の時機にいたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり(第13首)

五濁の時機となったれば、道俗ともに争って、念仏するを見つけては、疑い謗りあだをなす

法然のはじめた専修念仏の運動には繰り返し激しい弾圧が加えられてきました。主だったものとしては承元の法難(1207年、親鸞35歳、このとき親鸞は越後に流罪となりました)、嘉禄の法難(1227年、親鸞55歳、このとき親鸞は関東にいて難を逃れています)がありますが、いずれも興福寺や延暦寺が動きを起こし、それに朝廷が乗るというかたちで、まさに「道俗ともにあらそひて」過去に例を見ないような弾圧がなされました。どうしてこれほどまでに本願念仏の教えは目の敵にされたのか、これを考えることはこの教えの本質に関わります。のちの日蓮に対する法難は政治的弾圧(日蓮の政治批判に対する弾圧)という色彩が濃いものですが、念仏に対する弾圧はもっと根深いものがあったと言わなければなりません。本願念仏の教えは社会秩序の根幹を揺るがす危ういものと捉えられたということです。

それをひと言でいえば、人は弥陀の本願の前にみな平等であるという思想です。是非や善悪という価値秩序は人間が自分の都合で仮に設けているものにすぎず、弥陀の本願はそんな尺度に関わりなく、あらゆる衆生を平等にすくい取るというのです。「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」はそれをもっとも過激な形で表明したもので、これは人はみなひとしなみに悪人であり、それに気づいたものはそのまま摂取不捨の利益にあづかるという思想です。この思想は貴と賤、善と悪という上下の関係に基礎をおいている道俗の社会秩序を根底から否定するものと言わなければなりません。それを感じた僧俗の権力者たちは、こんな危険な動きは芽のうちに摘み取っておかなければ大変なことになると考えたに違いありません。かくして空前絶後の弾圧が繰り返し加えられ、「念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり」となります。


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無明煩悩しげくして [親鸞の和讃に親しむ(その84)]

(4)無明煩悩しげくして

無明煩悩しげくして 塵数(じんじゅ、無数ということ)のごとく遍満す 愛憎違順(心に順うものは貪愛し、心に違うものは瞋憎する)することは 高峰岳山(こうぶがくさん)にことならず(第8首)

無明煩悩さかりにて、塵のごとくに満ち満ちる。愛と憎とが入り乱れ、高山のごとそびえ立つ

冒頭の夢告讃で親鸞は「弥陀の本願信ずべし」と受信している(夢告を聞いている)ことに注目しましたが、この和讃でも、親鸞が「われらは無明煩悩しげくして」と発信するに先立ち「汝らは無明煩悩しげくして」ということばを受信していると言わなければなりません。親鸞は「われらは無明煩悩しげくして」ということをみずからゲットしたのではなく、「汝らは無明煩悩しげくして」ということばにゲットされているのです。そもそも「われらの無明煩悩しげくして」ということを「われら」みずから発信することはできません。それは「われは嘘つきである」という言明を考えてみればはっきりします。この言明は、それを言っている「われ」は嘘つきでないことを前提しないと意味をなしません。もしそう言っている「われ」も嘘つきでしたら、「われは嘘つきである」ことも嘘ということですから、何も言っていないことになります。かくして「われは嘘つきである」は、それをみずから発信することはできないということになります。それは「汝は嘘つきである」ということばを受信したものとしてはじめて意味のあるものとなるのです。

『歎異抄』の後序に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」という親鸞のことばが紹介されていますが、これまた親鸞が受信したことばであると言わなければなりません。もしこれを親鸞がみずから発信しているとしますと、このことばもまた「そらごとたはごと」に他なりませんから、何ともならないジレンマに陥ります。したがって、これは親鸞が「汝ら煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」ということばを受信し、それを受けて「われら煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなし」と述懐していると言うべきです。親鸞が「よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと」であることをゲットしたのではありません、親鸞はそのことにゲットされたのです。

「無明煩悩しげくして」という受信があってこそ、「弥陀の本願信ずべし」という受信もあるのです。前者が「機の深信」、後者が「法の深信」で、この二つは二つにして一つです。


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正像末の三時には [親鸞の和讃に親しむ(その83)]

(3)正像末の三時には

正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり 像季(ぞうき、像法の末期)・末法のこの世には 諸善(定散二善)竜宮にいりたまふ(第4首)

正像末を通じてぞ、弥陀の本願かがやけり。像末二時のこの世では、聖道自力かくれたり

どうして正像末の歴史観と浄土の教えが結びつくのかを考えてきました。ひと言で整理しておきますと、「いま」についての自覚(これが末法思想です)は「わたし」についての自覚(これが機の深信です)に他ならず、その自覚があってはじめて本願の気づき(これが法の深信です)がひらけるということでした。さて、もし正像末史観が客観的な歴史観であるとしますと、末法と区分された時代になってはじめて本願の教えがひろまることになりますが、見てきましたように、正像末史観は「いま」についての自覚(気づき)ですから、誰かが「いま」は末法の世だと自覚したとき、そこに末法の世が現出し、そしてその自覚から弥陀の本願の深信がひらけてくるわけです。したがってどの時代であっても、「いま」を末法と自覚したとき、そこに弥陀の本願は姿をあらわします。これが「正像末の三時には、弥陀の本願ひろまれり」ということです。

ではつづく「像季・末法のこの世には 諸善竜宮にいりたまふ」はどういう意味でしょう。「正像末の三時」に「弥陀の本願」がひろまるとしますと、どの時代でも聖道の諸善は陰に隠れているのではないのでしょうか。ここで考えなければならないのが「縁」ということです。またあの「弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」という『教行信証』「総序」の一文を手がかりにしたいと思います。弘誓すなわち「弥陀の本願」は「正像末の三時」にひろまっていて一切の衆生のもとに漏れなく届けられているのですが、実際にそれに遇うことができるには、その機縁が熟していなければなりません。そうでなければ「多生にも値ひがたく」「億劫にも獲がたし」と言わなければなりません。しかし「たまたま行信を獲」ることができますと、もう聖道の諸善は陰に隠れるしかなくなってしまいます。これが「像季・末法のこの世には 諸善竜宮にいりたまふ」ということです。


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釈迦如来かくれましまして [親鸞の和讃に親しむ(その82)]

(2)釈迦如来かくれましまして(これより三時讃)

釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまふ 正像の二時はをはりにき 如来の遺弟(ゆいてい)悲泣せよ(第2首)

釈迦おかくれになりてより、二千余年のときがすぎ、正像二時はおわりたり。釈迦の遺弟悲泣せよ

末法五濁の有情の 行証かなはぬときなれば 釈迦の遺法(ゆいほう)ことごとく 竜宮にいりたまひにき(第3首)

末法五濁の世となりて、行証ともになくなれば、釈迦の教えはことごとく、竜宮のなかにかくれたり

これから58首の「正像末浄土和讃(略して三時讃)」がはじまります(これは『正像末和讃』全体の半分に当たります)。道綽が『安楽集』において「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり」と述べて以来、正像末の歴史観(末法思想)は浄土思想と結びつき、それが善導に継承されて浄土教の歴史のなかで重要な役割を果たすようになります。親鸞もこれを重く見て、ここで「三時讃」を数多く詠うとともに、『教行信証』「化身土巻」において正像末の歴史観についてかなりのスペースを割いて論じています。そこであらためてこの歴史観とは何か、そしてそれが浄土の教えにとってどういう意味をもつかを考えておきたいと思います。

この二つの和讃から明らかなように、正像末史観とは釈迦入滅から時間が経つにつれて仏法は衰退していくという見方です。はじめは釈迦の教えとそれにもとづく行とその証がそろっていますが(正法、1000年あるいは500年)、次いで教と行はあっても証がなくなり(像法、1000年)、さらには行も証もなくなるというのです(末法、1万年)。われら現代人の多くは時代とともに世のなかは進歩していくものだという見方をしていますから、時が経つほど世のなかが悪くなるという歴史観はなかなかピンとこないところがあります。五濁ということばも出てきますが、これなどは時代とともに飢饉や疫病、戦争など時代の悪が増え(劫濁)、邪悪な考え方がはびこり(見濁)、煩悩がますます盛んになり(煩悩濁)、衆生の資質が次第に衰え(衆生濁)、寿命がだんだん短くなる(命濁)というのです。

この歴史観の本質がどこにあるかといいますと、それは道綽の「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり」ということばによく顕れています。正像末史観は「当今」に焦点を合わせて、じっと「いま」を見つめているということです。

ちょっと横道にそれますが、そもそも時間にはどこにも「いま」はありません。「いま」は西暦で2022年ではないか、と言われるかもしれませんが、それはそう言っている人(そしてそれを聞いている人)が2022年に生きているということでしかありません。つまり時間の中のどこでも「いま」になることができるということです。これは「わたし」も同じで、誰でも「わたし」になることができます。誰かが「わたしは云々」と言えば、その人が「わたし」です。そして誰かが「いまは云々」と言えば、それが「いま」になるのです。ここからぼんやりと見えてくるのは、「いま」と「わたし」は切り離しがたく結びついているということです。

「当今は末法にして」と言うときの「当今」とは道綽の生きていた時代であり、道綽という「わたし」が「いま」は末法の世であると言っているのです。道綽とは別の「わたし」にとって、「いま」は五濁悪世でも何でもないかもしれません。すなわち正像末史観とは歴史の客観的な評価ではなく、道綽の主体的な「いま」の自覚(気づき)であるということです。そしてさらに大事なことは、「いま」の自覚は「わたし」についての自覚に他ならないということです。「当今は末法にして」という自覚は「わたしは罪悪深重、煩悩熾盛にして」という自覚であるということ、この点は道綽に学んだ善導において明確なかたちをとってきます。「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して出離の縁あることなしと信ず」(『観経疏』深心釈)というのが「わたし」(機)についての自覚です。

この機の深信があってこそ、「決定して深く、阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得と信ず」という法の深信がひらかれてくるのです。


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弥陀の本願信ずべし [親鸞の和讃に親しむ(その81)]

第9回 正像末和讃(1)

(1)弥陀の本願信ずべし(夢告讃)

弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり(第1首)

弥陀の本願信ずべし。本願に遇うひとはみな、摂取不捨の利益えて、仏となるにさだまりぬ

『正像末和讃』冒頭の一首ですが、これには前書きがあり、「康元二歳(1257年、親鸞85歳)丁巳(ひのとみ)二月九日夜寅時(とらのとき、午前4時ごろ)夢に告げていはく」とあります。としますと、この和讃は一見、親鸞が「弥陀の本願信ずべし」と弟子たちに向かって語っていることばのように思えますが、実は親鸞は夢のお告げとして「弥陀の本願信ずべし」ということばを聞いたということです。親鸞は発信者ではなく受信者であるということですが、このことはわれらに大事な示唆を与えてくれます。つまり、このことはこの和讃だけのことではなく、一般に親鸞が残してくれたことばに言えることではないかと思われてくるのです。たとえば『歎異抄』第1章の「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」は、紛れもなく親鸞自身が発したことばとして記録されているのですが、しかし実は親鸞はこのことばを受信しているのではないかということです。

われらは、われら自身が何か新しいことを発信することに意味があると思います。これまで誰も言わなかったことを新たに発信することに価値があり、もうすでに言われていることをくり返しても何の意味もないと判断されます。これは学問の世界においてはもう当たり前のことで、ある説が発表されたとき、それの真理性はもちろんですが、それとともにその新規性が問題となります。それはすでに誰かが発表しているのではないかが検証され、もしそうであることが判明しますと、見向きもされません。どうしてそうなるかと言いますと、学問の真理はわれらがそれを「ゲットする」ものであるからです。そしてわれらが「ゲットする」真理は、誰がそれを最初にゲットしたかが決定的な意味をもってきます。誰かがはじめてゲットしてしまえば、それ以後は誰でもゲットできると判断されるからです。さてしかし仏法はわれらがそれを「ゲットする」ものではありません、われらはそれに「ゲットされる」のです。親鸞は「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」という真理をゲットしたのではありません、それにゲットされたのです。


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五濁悪世の衆生の [親鸞の和讃に親しむ(その80)]

(10)五濁悪世の衆生の(結讃)

五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり(第118首)

五濁悪世に生けるもの、弥陀の本願信ずれば、ことばにならず不可思議の、功徳は行者つつみこむ。

先の和讃で「疑情のさはり」により、本願を信ずることは「かたきがなかになほかたし」と詠われましたが、この和讃では「選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」と詠われ、「疑情」と「信楽」のコントラストが鮮やかです。『歎異抄』第3章で「自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」と言われますが、その「自力のこころ」と「他力をたのみたてまつる」こころのコントラストです。この「疑情」から「信楽」への転換、「自力」から「他力」への転轍に思いを潜めてみたいと思います。そのとき何が起こっているのかと言いますと、実は二つの気づきが起こっています。一つは「わたし」への囚われ(我執)の気づきで、もう一つは「本願他力」の気づきです。

「わたし」への囚われと言いますのは、まず「わたし」という実体があり、それが何かを「思う」ことがすべての第一起点となっているという思い込みのことです。この思い込みに哲学的な表現を与えたのがデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」です。「わたし」が何かを思う、それがすべての始まりであるということです。これはある人(デカルト)がそう思っているというのではありません、もうあらゆる人が意識することなく、そのように思い込んでいるということです。「わたし」が何かを思うから「わたし」はあるのであり、逆に言いますと、「わたし」が何かを思うことがなくなればもう「わたし」はなくなるという思い込みです。それは「わたし」から何かを思うことがすべて奪われたらどうだろうと想像してみればおのずと頷けるのではないでしょうか。

さてしかしあるとき、これは思い込みではないかという気づきが起こるのです。「わたし」は確かにいつも何かを思っています。でもそれがすべての始まりであるというのは囚われではないかという気づきです。この気づきは「わたし」に囚われているという気づきに他なりませんが、これは「わたし」から起こることはありません、これまで繰り返し述べてきましたように、それは「わたし」の外からやってきます。「わたし」に囚われているという気づきは、これは外からやってくるというもう一つの気づきを伴っており、それが「本願他力」の気づきです。「わたし」への囚われ(我執)の気づきと、「本願他力」の気づきは二つにして一つです。

(第8回 完)


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