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是非しらず(結讃2) [親鸞の和讃に親しむ(その120)]

(10)是非しらず(結讃2)

是非しらず邪正(じゃしょう)もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり(第116首)

是非善悪をしらずして 慈悲のこころもないままに 名利ばかりをもとめつつ 人師をこのむ愚かさよ

『正像末和讃』最後の一首です。したがって『三帖和讃』の最末尾にくる和讃です。そこに「小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむ」自分自身をさらけ出さざるをえないところに親鸞という人の何とも言えない性を見る思いがします。名利とは名聞・利養ですから、名誉を求める心と利益を求める心を指し、もうわれらのあらゆる欲がそこに凝縮されていると言えます。そのことはわれらが自分の名誉(プライド)が傷つけられたり、自分の利益が損なわれるようなことがあると、身も世もなく嘆き悲しむことにはっきりあらわれます。親鸞に倣い、ぼく自身の高校教師時代のもっとも醜く嫌な思い出をさらけ出しておきましょう。

最後の転任校となったのが、県下でももっとも荒れていた高校でした。風の便りにそのひどさを聞いてはいましたが、行ってみますとその実態は想像をはるかに超えるものでした。まともに授業をさせてもらえず、教室内は混乱の坩堝です。教師としてのプライドはものの見事にズタズタにされてしまいました。ぼくにとってはしかし、そのことそのものよりも、その惨状が人目にさらされることの方が苦痛でした。天気のいい日はカーテンを引きますから外から隠されるのですが、薄暗い日などは電気をつけて中の様子が丸見えになるのです。ぼくの力の無さが天下にさらされるように感じられ、身が切られるような苦しさでした。そのとき、ぼくにとって何が大事かがはっきり目の前に突きつけられたのです、それは世間体であり、見栄であると。ぼくは何とかしてこのしがない「わたし」を周りからよく見られるようにしたいとその一点に力を注いでいたのです。

名利を守るとは「わたし」を守ることです。そして「わたし」を守ることは自由を守ることです。しかしこの自由を守ろうとすることが究極の束縛になっていることが明らかになったのです。

(第12回 完)


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よしあしの文字をもしらぬ(結讃1) [親鸞の和讃に親しむ(その119)]

(9)よしあしの文字をもしらぬ(結讃1)

よしあしの文字をもしらぬひとはみは まことのこころなりけるを 善悪の字をしりがほは おおそらごとのかたちなり(第115首)

よしあしの文字すら知らぬ人はみな まことのこころある人で 善悪知るという人は おお嘘つきに違いない

いよいよ締めくくりの二首です。この和讃で「善悪の字しりがほは」と言っているのは、自分自身のことを指しているのだろうと思います。ここで親鸞は己の長い人生をふり返り、心の底から慚愧しているに違いありません。自分はこれまでいかにも何が善で何が悪かを知っているかのように人前で振る舞い、また自分でもそう思ってきたが、それは何という「おおそらごと」であろうかと。思い出されるのが、親鸞が弟子への手紙のなかで紹介している法然聖人のエピソードです。

「ものもおぼえぬあさましきひとのまゐりたるを御覧じては、『往生必定すべし』とて、笑ませたまひしを、みまゐらせ候ひき。文沙汰して(学問をして)、さかさかしき(賢そうな)ひとのまゐりたるをば、『往生はいかがあらんずらん』と、たしかにうけたまはりき」(『親鸞聖人御消息』第16通)と。これは親鸞が法然の草庵で過ごした若かりし頃の思い出ですが、自分もまた「文沙汰して、さかさかしき」人づらをしているのではないかと慚愧しているに違いありません。

思えばぼく自身、どこか「偉そうに」していることを慚愧せざるをえません。ぼくの本性を洗いざらい知っていて、それを遠慮なく指摘できるのがわが女房どのですが、その女房どのがときどき宣うのが「偉そうに」という辛辣な一言です。彼女はぼくがブログに書いている文をチェックしては、「偉そうに」という感想を漏らすのです。そう言われて、自身をふり返ってみますと、「おっしゃる通りです」とうな垂れるしかありません。己の知識をひけらかし、いかにも何か大事なことを知っているかのように見せびらかしていると言わざるをえません。

そんなぼくに「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善さをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』後序)ということばが身に刺さってきます。これは親鸞のことばですが、しかし親鸞が言っているというより、如来から「おまえはそんなことで恥ずかしくないのか」と問い聞かされているというべきでしょう。


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自然法爾章(2) [親鸞の和讃に親しむ(その118)]

(8)自然法爾章(2)

ちかひのやうは、「無上仏にならしめん」と誓ひたまへるなり。無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときは、無上仏とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。弥陀仏は自然のやう(様)をしらせん料(手立て)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさた(沙汰、あれこれ言う)すべきにはあらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるべし。これは仏智の不思議にてあるなり。

前段で自然=他力とは、すべては如来の誓いにはからっていただいているということだと述べた上で、ではその如来の誓いとは何かというと、念仏の衆生を「無上仏にならしめん」というものであると言います。そしてさらに無上仏は「かたちもましまさ」ず、そのことをもって自然というのだと言います。かくして無上仏=弥陀仏とは「自然のやうをしらせん料」であると言うのですが、この辺りの筆の運びは何とも微妙で、すんなり頭におさまるというわけにはいきません。親鸞は「この自然のことはつねにさたすべきにはあらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるべし。これは仏智の不思議にてあるなり」と釘を刺していますが、それは「この自然のこと」はこちらから捉えようとしても、とても捉えられるものではない、ということでしょう。

ここで親鸞が言おうとしていることをぼくなりに咀嚼してみますと、次のようになります。われらは「わたしのいのち」をひたすら「わがちから」で裁量しているように思っていますが、実はそれはみな大いなる「ほとけのいのち」のなかで生かされているのであるということ。そして「ほとけのいのち」とは「無量(アミタ)のいのち」と言うしかなく、「有量(ミタ)のいのち」たちが無尽につながりあっている、そのつながりの総体です。さてしかしそれはいったい何かと問おうとしても、色も形もなくつかみどころがないと言わざるをえません。「有量のいのち」が「無量のいのち」をつかみ取るすべはないということです。ではなぜ「わたしのいのち」は「ほとけのいのち」に生かされていると言えるのかと言いますと、「わたしのいのち」が「ほとけのいのち」をつかみ取ることができなくとも、「ほとけのいのち」が「わたしのいのち」を否応なくつかみ取ってくるからであり、「わたしのいのち」はそれに気づかされるからであるということです。

「弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり」という謎めいたことばは、「ほとけのいのち」は「ほとけのいのち」みずからその存在を知らしめてくるのであり、それをわれらがつかみ取るすべはないということに違いありません。


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自然法爾章(1) [親鸞の和讃に親しむ(その117)]

(7)自然法爾章(1)

「獲(ぎゃく)」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを得といふなり。

「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、果位のときのなを号といふ。

「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず。しからしむといふことばなり。「然」といふは、しからしむといふことば、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに。「法爾」といふは、如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふ。この法爾は、御ちかひなりけるゆゑに、すべて行者のはからひなきをもちて、このゆゑに他力には義なきを義とすとしるべきなり。「自然」といふは、もとよりしからしむるをいふことばなり。

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。(つづく)

どういうわけか『正像末和讃』の末尾にこの法語が置かれています。その前に「親鸞八十八歳御筆」と書いてありますので、これは誰かがのちにつけ加えたものと思われます。この文がどのような事情で成立したかは、これとは別に高田専修寺蔵の「顕智本」と呼ばれるものがあり、そこに「正嘉二歳戊午(1258年、親鸞86歳)十二月日 善法房僧都(親鸞の弟)御坊 三条とみのこうちの御坊にて 聖人にあいまいらせてのききかき そのとき顕智これをかくなり」とあることから、弟子の顕智が親鸞から直に聞いた法話であることが分かります。ことばの繰り返しが多いのも、丁寧に説き聞かせているのだろうと納得できます。

ここで「自然」も「法爾」も「おのづからしからしめる」ということであると述べられ、他力の意味がこの上なくはっきりと示されています。すなわち自然=他力とは、こちらから「こうしよう、ああしよう」とはからうのに先立って、すべてむこうからはからっていただいているということだと。むこうからはからっていただくのを期待して待つのではありません、気がついたらもうすでにはからわれていたということです。そのことがより具体的に「南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたる」と述べられます。南無阿弥陀仏とたのむのはわれらですが、しかしそれに先立ち、われらが南無阿弥陀仏とたのむようにはからっていただいているのだと。そしてその上でそんなわれらを迎えとろうというのです。「信巻」に「欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有(しょう)の群生を招喚したまふの勅命なり」とあるのはそういうことです。

これが「他力には義(はからいです)なきを義とす」ということば(『歎異抄』第10章にも「念仏には無義をもつて義とす」というかたちで出てきます)の真意で、これはわれらに「はからうのをやめよ」と言っているのではありません(生きることは隅から隅まではからうことですから、はからうことをやめることは死ぬということです)。そうではなく、われらが南無阿弥陀仏とたのむのは、そのように如来にはからわれているのだというのです。はからわれているからはからうことができるのだということです。


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弓削の守屋の大連 [親鸞の和讃に親しむ(その116)]

(6)弓削の守屋の大連(善光寺讃)

弓削(ゆげ)の守屋の大連(おおむらじ) 邪見きはまりなきゆゑに よろづのものをすすめんと やすくほとけとまうしけり(第114首)

弓削の守屋の大連 ものの道理をわきまえず 世のひとびとをまどわして やすくほとけと名をつける

注 弓削は大阪府八尾市、守屋は物部守屋、大連は大臣と並んで朝廷の最高官位。

悲歎述懐讃のあと、善光寺讃と名づけられる和讃が5首ありまして、この和讃はその最後です。

この和讃には説明が必要です。物部守屋は日本に仏教が入ってくるのを阻止しようとした排仏派の中心で、当時、疫病が流行したのですが、こんなことが起るのは蘇我馬子ら崇仏派が仏教を受け入れたからだとして、敏達天皇の許しを得て、馬子が仏像を安置している寺を焼き、仏像を破壊します。このような激しい崇仏・排仏の対立のなかで、守屋たちが熱病を意味する「ほとほりけ」(「ほとほり」は熱の意、「ほとぼりが冷める」などと言います)から仏像を「ほとけ」と言うようになったという民間伝承をもととしてこの和讃はつくられています(実際は「仏」の古い中国語音を日本語風に写して「ほと」となり、それに「け」がついて「ほとけ」と言われるようになりました-『岩波古語辞典』)。このような経緯をみても、仏教はその伝来のはじめから呪術と深くつながっていたことが了解できます。

そもそも崇仏・排仏の対立は、外国の神(蕃神)としての仏を迎え入れるか排斥するかの争いであり、その蕃神は病気平癒にご利益がある神か、それとも熱病をもたらす厄病神であるかを巡って激しく対立したわけです。

「まじないの宗教」として受け入れられた仏教が、実は「目覚めの宗教」であることが明らかになるにはやはりかなりの時間が必要でした。聖徳太子をはじめとする先覚者たちの努力の上に、仏教は「目覚めの宗教」であることをこの上なくはっきり教えてくれたのが親鸞であることは間違いありません。彼にとっての仏教とは、もうすでに本願力に生かされていることに「目覚め」、同時におのれは我執の虜になっている凡夫であることに「目覚め」ることです。彼はこの二重の「目覚め」がわれらの救いであり、これ以外に救いはないことを明らかにしてくれました。われらは我執の虜であるがままで、もうすでに本願力により救われているということ、これに気づくこと以外に仏教はないことを教えてくれたのです。


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かなしきかなやこのごろの [親鸞の和讃に親しむ(その115)]

(5)かなしきかなやこのごろの

かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬(そんきょう)す(第104首)

かなしいことにこのごろは 僧侶も俗もかわらずに 仏うやまうふりをして 実は神々祈祷せり

前の二首と同じ趣旨の和讃です。神仏の力をたのんで幸せを得ようとするのと、本願他力に生かされていることを喜ぶのとの違いを考えてきましたが、さらにそれを続けますと、神仏の力をたのむときには、ベクトルの向きが自分から神仏へとなっているのに対して、本願力をたのむときは、本願力から自分へというベクトルの向きになっています。前者はわれらから神仏に向かって「おたのみ申します」と発信するのに対して、後者では本願力の方からわれらに「われをたのめ(待っているよ、帰っておいで)」と呼びかけてくるのを受信しているということです。そしてそこから、前者では「われら自身」のありようをふり返ることはありませんが、後者ではおのずから「われら自身」の姿に光が当てられることになります。

本願力がわれらに「われをたのめ」と呼びかけるのは、われらがわが力をあてにして救いを得ようとしても不可であるからで、だからこそ本願力は「われをたのめ」と呼びかけると同時に「汝らは煩悩具足の凡夫である」ことを突きつけてくるのです。煩悩具足であるとは、「わたし」に囚われていること、すなわち我執に取りつかれているということに他なりませんが、それに気づいてはじめて「われをたのめ」という本願力の呼びかけが身に沁みるのです。ここまできまして、仏教が「目覚め」の宗教であるということのほんとうの意味が明らかになります。すなわち「目覚め」とは、まずもって「本願力の目覚め」ですが、しかし同時に「我執(煩悩)の目覚め」であるということです。この二つの「目覚め」は二つにして一つです。

「良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀をつとめとす」る道俗たち、「天地の鬼神を尊敬す」る道俗たちに、我執の目覚めはないと言わなければなりません。


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五濁増のしるしには [親鸞の和讃に親しむ(その114)]

(4)五濁増のしるしには

五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀(げぎ)は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬(ききょう)せり(第100首)

濁りに満ちた世のしるし、僧侶も俗もみなともに、そとは仏教よそおって、うちは外道につかえてる

 

かなしきかなや道俗の 良時・吉日(きちにち)えらばしめ 天神・地祇(じぎ)をあがめつつ 卜占祭祀(ぼくせんさいし)をつとめとす(第101首)

かなしいことに誰もみな 良き時・良き日えらんでは 天地の神をあがめつつ 祀り占いかかさない

同じ悲歎述懐讃と言っても、ここまでの和讃とは趣が異なります。これまでは親鸞自身の悲歎でしたが、この二首は世間の道俗のありさまが悲歎されています。そしてそれに対する厳しい批判になっています。第100首は、出家も在家も同じように、外から見れば仏教徒のような姿をしていながら(袈裟を着たり、手に数珠をもったりしながら)、心の中では外道に仕えているではないかという厳しい指摘です。ここで外道といいますのは、日本に古くから伝わる呪術信仰(神道と呼ばれます)を指していることは次の第101首から明らかで、仏教徒でありながら「まじない(呪術)」にうつつを抜かしているありようを指弾しています。

「目覚め」の宗教であるはずの仏教が「まじない」の怪しげな宗教になってしまっているということです。さてしかし「目覚め」と「まじない」とでは何がどう違うのか、これはよくよく考えてみなければなりません。

「まじない」とは神仏の不可思議な力を借りて災いや病気を避けようとする(あるいはそれを起こそうとする)ことですが、弥陀の本願力というのも仏の不可思議な力ですから、どうかするとその違いが見えなくなってしまいます。たとえば『歎異抄』第3章にはこうあります、「自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころのかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」と。ここに「他力をたのむ」と言われているのは、一見したところ、神仏の力をたのんで幸せをえようとするのと同じようです。

しかし両者はまったく違います。この「他力をたのむ」は、気づいてみると、もうすでに本願他力のなかにいるということです。「これから」本願他力をたのみとして幸せをえようとするのではありません、「もうすでに」本願他力に生かされていることに気づいているのです。「これから」救われたいと思っているのではありません、「もうすでに」救われていることを喜んでいるのです。そのとき「ああ、ありがたい(あること難し)」という思いが「南無阿弥陀仏」の声となって口をついて出るのです。


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小慈小悲もなき身にて [親鸞の和讃に親しむ(その113)]

(3)小慈小悲もなき身にて

小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき(第98首)

小慈小悲もなき身にて 有情利益もできはせぬ 如来の願船なかりせば この苦海をばいかがせん

この和讃を読んで頭に浮ぶのは、恵信尼の手紙に記されている出来事です(『恵信尼消息』第3通)。親鸞四十二歳の頃、流罪を赦免されて後、越後から常陸へ向かう途中、「武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫(さぬき)と申すところにて」、何か大災害でもあったのでしょう、おそらくは大勢の死人たちを目の前にして、「げにげにしく三部経を千部よみて、すぞう(衆生)利益のためにとて、よみはじめ」たということがありました。死者の供養のために読経するという僧としての習い性が出たということでしょうが、それにしても三部経を千部読むというのは並や大抵のことではありません。

そんな行動に出たのは「すぞう利益のため」であり、『歎異抄』第5章のことばを借りれば「わがちからにはげむ善」として経典を読誦しようと決意したということですが、親鸞はまもなくそこに潜む虚仮に気づきます。外に賢善精進の相を現じながら、内に虚仮を懐いている自分が目に入ってくるのです。そうして「これはなにごとぞ、自信教人信難中転更難(みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたまた難し)とて、みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、まことの仏恩を報ひたてまつるものと信じながら、名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず経をよまんとするやと思ひかへして」読むのをやめたとあります。

親鸞はわが力で人々を救おうとしている自分に「おまえは何さまであるか」と問いかけているのです。いや、どこかからそのような声が聞こえているのです。そして「みづから信じ」ることも、「人を教えて信ぜしむる」ことも、みな本願力の回向であることをあらためて思い返しているのに違いありません。名号に「なにごとの不足」があって「わがちからにてはげむ善」にたよろうとしているのか、「如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたる」ことができようか、と。


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外儀のすがたはひとごとに [親鸞の和讃に親しむ(その112)]

(2)外儀のすがたはひとごとに

外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ 貪瞋・邪偽おほきゆゑ 奸詐(かんさ、いつわりあざむくこと)ももはし(百端、数が多いこと)身にみてり(第95首)

そとの見かけをかざりつけ よきひとらしく装って なかは貪瞋みちみちて うそいつわりがあふれてる

この和讃のもとは善導『観経疏』の次の文です、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、貪瞋・邪偽・奸詐百端にして悪性やめがたし」と。その前半の漢文は「外現賢善精進之相内懐虚仮」で、これを普通に読みますと、「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ」となりますが、親鸞は上記のように読むのです。普通の読みでは「内に虚仮を懐くでないぞ」と諭していますが、親鸞は「内は虚仮ばかりで、貪瞋・邪偽・奸詐百端が渦巻いているではないか」とおのれの偽りなき姿をそのままさらすのです。これが親鸞という人です。

先の第91首のところでも述べましたように、「貪瞋・邪偽おほきゆゑ 奸詐ももはし身にみてり」ということばはわれらのことばではありません。これは仏のことばと言わなければなりません。われらが自分のことばとしてこのように言うとしますと、そこにはすでに虚仮が忍び込んでいます。密かに「このように言えるからには、自分のなかの貪瞋・邪偽・奸詐百端を自覚しているのであり、そんなことではいけないと反省しているのだ」とおのれを弁護しています。自分は悪人であると自覚できるほどには善人なのだと思っているのです。これこそしかし「奸詐ももはし身にみてり」と言わなければなりません。「私は悪人です」と公言しながら、実は密かに自分を善人として底上げしているのですから。ここからはっきりしますのは、「奸詐ももはし身にみてり」ということばが正真正銘のものであるとしますと、これは仏のことばとしてわれらに突きつけられたものであるということです。親鸞はこの仏のことばを受信しているのです。

「外現賢善精進之相内懐虚仮」は、われらが発信したことばでしたら、「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ」となるでしょうが、親鸞はこれを仏から受信して「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐(けばなり)」と聞いているのです。


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浄土真宗に帰すれども [親鸞の和讃に親しむ(その111)]

第12回 正像末和讃(4)

(1)浄土真宗に帰すれども(これより悲歎述懐讃)

浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし(第94首)

まことの教えに帰したとて まことのこころあるじゃなし 虚仮にまみれた身とこころ 清浄なんてかげもない

親鸞は最晩年(86歳)に著した『正像末和讃』の、しかもその最末尾に「悲歎述懐讃」を十六首載せています。ここに親鸞という人の本質がこの上なく露わになっていると言うべきでしょう。彼は本願に遇えた慶びを思うにつけ、おのれのなかに巣くう虚仮・不実を悲歎し、それを述懐せざるをえないのです。親鸞は『教行信証』の後序に「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦(建仁元年、1201年)、雑行を棄てて本願に帰す」と記していますように(自身のことを語らない親鸞が、ここでは例外的に饒舌に語っています)、29歳のときに「浄土真宗に帰す」のですが、それから60年近く経た今なお「真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と詠うのです。

正信偈に「摂取の心光、つねに照護したまふ。すでによく無明の闇を破すといへども、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし」とあることが想い起こされます。弥陀の光明に摂取され、無明の闇は晴れたはずなのに、その信心の天は依然として貪愛・瞋憎の分厚い雲に覆われているというアンビバレンツ。無明の闇とは我執の闇に他ならず、そして我執とは「わたし」に囚われていることです。何ごとも「わたし」あってのものだねという思いに囚われていることです。弥陀の心光に摂取されることにより、その囚われに気づくことができたのですが、さてしかし、だからと言って囚われが消えるわけではありません。

普通は囚われていることに気づきますと、もう囚われから抜け出ていますが、「わたし」への囚われはそこが実に微妙で、「ああ、これは囚われだ」と気づきながら(その意味では無明が晴れていながら)、依然として囚われています(我執の闇のなかにいます)。逆に言いますと、囚われていながら、でもそのことにはっきり気づいているのです。これは言ってみれば、片足を囚われという棺桶の中に突っ込みながら、もう片足は棺桶の外にあるという引き裂き状態と言わなければなりません。これが「日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし」ということです。


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