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9月16日(金) [矛盾について(その409)]

 「長生きするいちばんいい方法は、いつ死んでもいいということです」とありましたが、どのようにしたら「いつ死んでもいい」と思えるのでしょう。
 「いまこうしていること以上にありがたいことはない」と思えばいい。そう思うことができれば「いつ死んでもいい」と思えます。「そうだろうか?」という疑問があるかもしれません。「いま」がありがたいなら、「これから」もそれが続いてほしいと思わないだろうか。今日がありがたいなら、明日も明後日も、とならないだろうか。
 以前、映画を例に考えたことがあります。いい映画を観て、素晴らしい感動をもらいますと、もういつ終ってもいいと思います。いつまでもダラダラ続くより、終わるべきタイミングですっきり終ってほしいと思います。反対に、もっと続いてほしいと思うのは、これではまだ得るべき感動を得ていないと思うからです。もっと何かがあるはずだと思うからです。同じように、まだ死にたくないと思うのは、まだし残したことがあると思うからです。「これでは死ぬに死ねない」とよく言いますが、それは「いまこうしていること以上にありがたいことはない」とは思っていないからです。もっとありがたいことがあるはずだと思うからです。
 「そのまま生きていていい」という声が聞こえたとき、「いまこうしていること以上にありがたいことはない」と思い、そして「もういつ死んでもいい」と思う。それが「おお、今日も生きておった」ということになり、いつ死んでもいいと思うのに、まだ生きているのですから、結局のところ長生きできたと喜べるのです。これが「念仏を申せば長生きできる」ということの意味です。「があること」の幸せが、間接的に「であること」の幸せをもたらしてくれるのです。

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