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3月29日(木) [矛盾について(その604)]

 誰かに語りかけようとするとき、漢語がつかいにくいのは経験上みんな知っていることです。
 井上ひさしが『日本語教室』で、こんなことを言っています、「私は芝居も書いていますが、台詞はやまとことばでないとだめなんです。漢語ではお客さんの理解が一瞬遅れます。演劇の場合、時間はとまることなくずーっと進行していきますから、お客さんがちょっとでも考え込むと、その考え込んだあいだだけ、続く台詞が聞こえなくなります。そうすると観客の意識に、ぶつぶつぶつぶつ穴があいてくるわけですね。それを避けるために、なるべく漢語はやまとことばに言い換えています」と。
 なぜ漢語は理解が一瞬遅れるかといいますと、耳でとらえた音を頭の中で漢字に変換しなければならないからです。その0.0…秒かが空白の時間になるのです。
 ぼくも中学・高校の教師を目指す学生たちによく言ったものです、「目の前に小学生の弟や妹がいると思って、彼らにも分かる易しい和語で語ろうとしなさい」と。難しいことばを使うと高級だと勘違いしてしまうのですが、難しい内容を易しいことばで説明するのが高級なのです。
 もうひとつ、「読むな、語れ」ともよく言いました。学生たちは模擬授業のとき、手にしたペーパーを読んでしまうのです。それでは言っていることがどんなに素晴らしい内容でも、相手の頭の上を素通りしてしまいます。相手の目を見て、語りかけなければ、こころに届かない。

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