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測量すべきことぞなき [『浄土和讃』を読む(その49)]

(13)測量すべきことぞなき

 その不思議は次の和讃にうたわれています。

 「神力自在なることは 測量(しきりょう、推し量る)すべきことぞなき 不思議の徳をあつめたり 無上尊を帰命せよ」(第21首)。
 「菩薩のうごき自在にて、思いもつかぬ神業で、不思議な徳をあつめくる。無上尊にぞ帰命せん」

 もとの曇鸞の偈では、菩薩が自在にさまざまな仏の世界に赴いて如来を供養するさまが讃嘆されるのですが、親鸞は還相の菩薩が自在に衆生利益をする不思議をうたいます。その不思議は、ぼくらの側から言いますと、還相の菩薩に遇うことの不思議です。
 前に恋の不思議にふれました(第2回―24)。はじめて会う人なのに、「あっ、この人だ」と思ってしまう。不思議な縁を感じるのです。その人と以前どこかで会っていて、もう一度会える日を待っていたような気がする。しかしどう考えてもこれまでに会った覚えはありませんから「前世の縁」ということになるのですが、還相の菩薩も前世で会っていたのではないでしょうか。
 前世などと言いますと荒唐無稽だと言われるかもしれません。でも、死にゆく人が「先に行ってるよ」と言うことに不自然さを感じないように、「前世の縁」もさほど抵抗がないように思います。それが荒唐無稽に感じられるのは、前世(や来世)を空間的にイメージするからではないでしょうか。ここでも時間の空間化(線としての時間)が顔を出しています。どこかに前世なる世界があるかのようにイメージして、それはいったいどこにあるのかと考えるものですから、荒唐無稽という印象をもってしまうのです。
 この機会に前世と来世について考えておきましょう。生まれる前と死んだ後。

タグ:親鸞を読む
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