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交換か贈与か [正信偈と現代(その177)]

(7)交換か贈与か

 相互の契約か一方的な贈与か。契約は、たとえ神との間に結ばれるとしても、ひとつの交換、つまりギブアンドテイクです。われらは神をこころから愛し、神はわれらに救いを与えるというギブアンドテイク。信仰はそのような交換であるのか、それとも神からの一方的な贈与かという問題です。世のなかはほとんどの場合、交換の原理で成り立っています。経済は言うまでもなく交換で貫かれていますし、一見したところ贈与のようなケースでも、よく見ると交換ということがほとんどです。
 ボランティアは一方的な贈与のように見えますが、「助けて下さってありがとう」と感謝されて、「いえ、わたしこそ生きる力を与えていただいているのです」と答えることがよくあります。あれはこころにもないことを言っているのではなく、偽らざる気持ちに違いありません。そもそも互いに独立しているもの同士に一方的な贈与は成り立ちません。誰かから何かを贈られたら、必ずなにがしかの負い目を感じ、お返しをしなければと思うものです。もしそんな気持ちがまったく起こらないとしたら、もはやそこには独立性がないと言わなければなりません。
 ここから見えてくることがあります。自分を一個の独立した人格と感じつつ、神や仏を信仰するとき、その信仰は交換としての信仰であるということです。神仏から贈りものをされたら、それに負い目を感じ、何かお返しをしなければならないと思う。この信仰は交換としての信仰です。逆に、神仏からの贈りものが一方的な贈与であるとき、言い換えますと、神仏から贈りものをされても、それに負い目を感じることなく、お返しをしなければという気持ちが起こらないならば、もはや自分を神仏から独立した人格とは感じていないということです。これが贈与としての信仰です。
 交換としての信仰においては「わたしのいのち」を生きていますが、贈与としての信仰においては、「わたしのいのち」を生きつつ同時に「如来のいのち」を生きることになります。前者では「わたしのいのち」と「如来のいのち」は互いに独立していますが、後者においては「わたしのいのち」と「如来のいのち」はひとつになっています。

タグ:親鸞を読む
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