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目次 [『教行信証』精読(その24)]

(12)目次

 さて序の後、次のようにつづきます。

 大無量寿経 真実の教 浄土真宗
  真実の教を顕す 一
  真実の行を顕す 二
  真実の信を顕す 三
  真実の証を顕す 四
  真仏土を顕す  五
  化身土を顕す  六

 最初の一行は、次の教巻の冒頭におかれるべきものかもしれません。行巻の冒頭には「諸仏称名の願 浄土真実の行 選択本願の行」とあり、信巻の冒頭は「至心信楽の願 正定聚の機」とありますように、それぞれの巻の冒頭に拠るべき願が掲げられますが(標挙の願とよばれます)、教巻の冒頭には「大無量寿経 真実の教 浄土真宗」と掲げられるのがふさわしいように思われます。しかし、この後に各巻の題名が上げられ、目次にあたるものがつづきますので、序の最後におかれることになったのでしょう。
 さてこの書物のタイトルは『顕浄土真実教行証文類(浄土の真実の教・行・証を顕す文類)』であるにもかかわらず、実際は教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻の六巻構成になっています。それぞれの巻の内容については、それぞれのところで述べることにしまして、ここでは、伝統的な教・行・証の三法構成(教えと、それにもとづく行、そしてその成果としての悟りのことで、この書物のタイトルもその伝統にのっとっています)が、そこにあえて信巻を加えることで四法構成になっていることについて、ひと言述べておきたいと思います。
 親鸞にとって行と信はひとつであり、これが行でこれが信と分けられるものではありません。序の第2段に「もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。…たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」とありましたように、「行信」と一体にしてよばれるものです。にもかかわらず行巻と信巻とに分けられたのはどうしてでしょう。

タグ:親鸞を読む
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