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われらごときのいたずらもの [「『おふみ』を読む」その23]

(10)われらごときのいたずらもの

この「おふみ」でも、同じような感じをもってしまいます。「ただあきないをもし、奉公をもせよ。猟、すなどりをもせよ」と語っている蓮如自身は「かかるあさましき罪業」の外にいるのではないか、という気がしてしまうのです。いや、そんなことはない、蓮如は「かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらもの」というように「われら」と言っているではないか、と反論されるかもしれません。そうした「いたずらもの」の中に自分も含めていると。

蓮如がいかに御同朋、御同行の意識を強くもっていたかについて、いろいろな証言があります。たとえば、東山大谷の本願寺の造作について、もともとは上段と下段に分けてしつらえられていたのを「上段をさげられ、下段と同物に平座にさせられ」たとあります。そこには開祖・親鸞の姿勢を継承していこうという強い思いがうかがわれます。そのような姿勢に蓮如の教化が成功した鍵があったのは間違いないと思いますが、ただ親鸞と比較したとき、何かが違うと感じられる。それは蓮如が生まれながらに本願寺という寺の僧であること、そして43歳にして本願寺の法主となったこと、かたや親鸞は寺などもたず、「非僧非俗」の生き方をつらぬこうとしたこと、ここからくると思われます。

親鸞が関東の弟子たちと平場で話すのは当たり前のことですが、蓮如は法主で<ありながら>平場で門徒衆と話をしたとなる。つまり、親鸞と弟子との間には対称性があるのに、蓮如と門徒の間にはどうしても非対称性がつきまとうということです。蓮如は本願寺法主として門徒たちを教化するという立場に自分の身をおきました、たとえそれが平場で行われたとしても。ぼくが「おふみ」に感じるさまざまな違和感は、つきつめればそこからきているような気がするのです。


タグ:親鸞を読む
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