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4月19日(火) [矛盾について(その260)]

 「つくるつながり」は「こちらから」であるのに対して、「感じるつながり」は「向こうから」であることを見てきました。次に「つくるつながり」は「これから」であるのに対して、「感じるつながり」は「もうすでに」であるということ。
 「つくるつながり」は「これから」つながろうとしますが、「感じるつながり」は「もうすでに」つながっていると感じるのです。前者についてはもういいでしょう。「これから」つくる「つながり」ではなく、すでにつくられた「つながり」であっても、それを保つのは「これから」です。目はいつも前(未来)を向いていなければ「つながり」を維持することはできません。
 一方「感じるつながり」は、それを感じたとき「もうすでに」あるものです。すでに「つながり」の中にあると感じるのです。感じるのは「いま」でも、「つながり」はもうずっと前からあったと感じます。「前世の縁」ということばは、その辺りの感覚を表しているのでしょう。そして、自分がつくった「つながり」でしたら、これからも途切れないように気をつけなければなりませんが、もうすでにその中にあると感じているのですから、それが途切れるだろうかという不安はありません。
 このように「感じるつながり」は「永久の絆」とも言えるわけですが、ただそれは感じられるもので、どこかにあるというわけではありません。感じる人には「永久のつながり」であっても、感じない人にはどこにもありません。これは「感じる」ことの宿命で、そこからそんな主観的なことはあてにならないという評価が出てくることになります。しかし、そもそも「感じる」ことは主観的でしょうか。

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