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おのおの十余箇国のさかひをこえて [『歎異抄』ふたたび(その24)]

             第3回 よきひとの仰せ

(1)おのおの十余箇国のさかひをこえて

 第2章に入ります。3段に分け、まず第1段。

 おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくく(よく見えないので、はっきり知りたいと)おぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺(南都は奈良の興福寺など、北嶺は比叡山延暦寺)にもゆゆしき学生(がくしょう、学者)たちおほく座(おわ)せられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然上人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

 第1章のことばがどのような状況で語られたかは見えてきませんが(おそらくは常日頃くりかえし語られていたことばでしょう)、この文はその背景がくっきりと立ち上がってきます。十余箇国(常陸、下総、武蔵、相模、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、近江、山城)を越えて命がけで訪ねてきた関東の弟子たちに向かって親鸞が優しいなかにも厳しい面持ちで語りかけている様子が目に見えるようです。そしてやってきた弟子たちも、ただ懐かしさの情だけではなく、その表情にはかなり険しいものがあっただろうと察せられます。それは「念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめして」という言い回しに滲み出ています。
 あなた方は、わたしが何か特別な教えや、それが説かれた法文を知っているのに、それを秘めているのではないかという不審の念があるようですが、と親鸞は言っているのですが、ここから頭に浮ぶことがあります。善鸞のことです。父・親鸞に代わって関東に趣いた善鸞が「わたしには父から特別に伝えられた秘密の教えがあります。あなた方が日頃信じている第18願の教えはしぼんだ花のようなものです」などと触れ回ったものですから、関東の念仏衆の間に大混乱が生じたのでした。この大騒動は親鸞が善鸞を義絶することでようやく収まるのですが、関東の弟子たちが「十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめた」のは、その混乱の渦中のことだったのではないかと思えてくるのです。

タグ:親鸞を読む
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