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2月9日(水) [矛盾について(その195)]

 自由と必然のアポリアをカントを手がかりに考えてきました。
 さて前にこう言いました、宿業の感覚はぼくらを「何ともならない」という無力感へ誘うと。あらゆることは起こるべくして起こるとすれば、ぼくらがどうあがいてもなるようにしかなりません。だから、何かをしようと頑張るのは無駄だと思えます。
 これは「これまで」のことを振り返ってそこに因果の必然を見ているのとは違うような気がします。「これから」のことを見て無力感に囚われているのです、何をしようと所詮宿業のままだと。必然と宿業はほとんど区別できないほどよく似ていますが、ニュアンスとして、必然は「これまで」を振り返っているのに対して、宿業は「これから」を見つめているような感じです。必然は自分がしてしまったことを起こるべくして起こったことと見ていますが、宿業はこれから自分がすることが得体の知れない力に支配されていると思っているのです。
 検討してきましたように、自由と必然は両立しますが、自由と宿業は真っ向からぶつかるように思えます。自由は「わたし」がそうしようと思わなければなにごとも起こらないと主張し、一方宿業は「わたし」がどう思おうが、起こるべく定められていることは起こり、そうでないことは起こらないと主張するのですから。
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