SSブログ

2月21日(月) [矛盾について(その207)]

 自分の「いる」ことが肯定されるということ。
 誰かの「する」ことが、自分の「する」ことに力を及ぼすのは当たり前のことです。ぼくらは自他の相互作用の中にあります。相手が何かを「する」から、自分はそれに応じて何かを「する」。でも、いま問題にしているのは、誰かの「する」ことが、自分の「いる」ことに力を及ぼすということです。誰かは何かを「する」だけなのに、そのことが自分の「いる」ことを肯定することになるのです。誰かがぼくの帰りを待っていることが、ぼくの「いる」ことを肯定してくれる。
 これまでも上げた例ですが、ぼくの高校教師時代のことです。授業が終わって教室を出ようとしたところで、ある生徒が「先生、今日の授業おもしろかった」と囁いたのです。ぼくは「そうかい」と何気なさを装いながら、こころの中は喜びであふれていました。スキップしながら職員室に戻りたくなりました。授業がその生徒のこころに触れるところがあったのでしょう、そのことを言わずにいられなくて「おもしろかった」と言ってくれたのだと思います。だからこそぼくは嬉しかった。ぼくの「いる」ことが肯定されたと感じたのです。彼はただ言わずにいられなかっただけなのに、いや、そうだからこそ、そのことがぼくの「いる」ことを肯定してくれたのです。
人気ブログランキングへ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0