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11月4日(金) [矛盾について(その458)]

 金子氏はこんなことを言っています、「これは例が適当でないかもしれないが、仏法は伝染病のようなものではないかと思いますね。みんな保菌者にさえなれば、だまっていても菌はどこかへ広がっていくでしょう。保菌者でないものが伝染させようとするところに無理がある」と。
 保菌者という言い方がおもしろい。念仏というのは菌のようなもので、自分の中にそれがいると、自ずと他の人にうつっていくと言うのです。だから自分が菌を広めるのではなく、菌が勝手に広がっていくということになります。考えてみれば、そもそも自分が菌をキャッチしたのではなく、菌が自分をキャッチしたのです。気がついたらもうすでに保菌者になっていたのです。
 菌はどこからかやってきて、またどこかにうつっていく。自ら増殖していくのですから、増やそうとする必要がありません。ただ、菌が増殖するには、それに適した条件が要ります。その条件さえあれば、とどまるところなく増え続けるでしょうが、条件がそろわなければおのずから衰微していきます。その条件が何であるかは、残念ながら人知の及ぶところではなく、奇しき縁と言うしかありません。
 としますと、ぼくらは全くの無力ということです。デクノボーのように、ただ突っ立っているだけ。この見方はぼくらをどこか傷つけます。それじゃ、ぼくらは一体何なんだ、と言いたくなります。
 同じようなことを感じたことがあるな、と思い当たりました。

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