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6月13日(水) [『歎異抄』を読む(その29)]

 第二章に進みます。ちょっと長いので三段に分けて見ていこうと思います。まず第一段です。
 をのをの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち、おほく座せられてさふらふなれば、かのひとびとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞にをきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
 一文ずつ区切って読んでいきます。
 「をのをの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり」
 みなさん、はるばる関東から十余か国の国境を越えて、命がけでわたしを訪ねてくださったのは、ひとえに極楽往生の道を聞こうと思ってのことでしょう。
 関東からはるばる京都の親鸞のもとを訪ねてきた人たちに向かって親鸞がこう言っているのです。前に言いましたように、親鸞は三十五歳のとき承元の法難で越後に流され、それが許された後、どうしたわけか京都には戻らず常陸、今の茨城県に向かうのです。時に親鸞四十二歳の頃で、それから約二十年その地に留まり多くの人に念仏の教えを伝えます。そして六十二歳の頃京都に戻るのですが、その関東から弟子たちが極楽往生の道を聞こうとはるばるやってきた。「身命をかへりみずして」ということばは決して大げさではないと思います。何しろ今から八百年近く前のことで、一大決心をしてのことでしょう。
 そしてその人たちの中に若い唯円がいたのは間違いないと思います。

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