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2013年12月21日(土) [はじめての『教行信証』(その146)]

 お金や健康などがあって生まれる安心は「いま」のことですが、しかしそれは「これから」どうなるかに左右されます。「いま」不安というのは「これから」を思い浮かべることから生じるということです。
 ぼくらは「いま」安心であったり「いま」不安であったりしますが、それは実は「これから」が安心であり「これから」が不安であるということです。
 しかしここで考えたいのは、たとえ「これから」が不安であっても「もうすでに」安心ということがあるのではないかということです。いや、そもそも「これから」のことはどこまでも不安ですが、それにもかかわらず「もうすでに」安心ということがあるのではないか、これを考えたいのです。
 願いに二種類あり、それは幸せの願いと安心の願いだと述べてきましたが、ここにきて安心にも二種類あると言わなければなりません。
 それを便宜上「あんしん」と『あんじん』と呼びましょう。「あんしん」は「これから」の安心で、『あんじん』は「もうすでに」の安心です。「あんしん」はお金や健康などの幸せと同じカテゴリーに入れることができますが、『あんじん』はそれらの幸せを下から支えるものです。『あんじん』があってはじめてお金や健康がほんとうの幸せになる。
 ここでさらに疑問が出るかもしれません、「あんしん」さえあれば『あんじん』なんてどうして必要なのか。「いま」お金と健康に恵まれているだけでなく、「これから」もお金や健康に不安がなければ、それ以上に何がいるというのか。
 そもそも『あんじん』とは何かという疑問です。

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