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気恥ずかしい問い [生きる意味(その2)]

(2)気恥ずかしい問い
 それにしても、「生きる意味」についての問いは何となく気恥ずかしいですね。どうしてでしょう。この問いはとても大切な問いのはずです。ひょっとしたら人間の発する問いの中で最も重要な問いかもしれない。ところが普通の会話で「生きる意味」ということばが出てくることはまずありません。
 まあ日常の会話は当たり障りのないことを話題にするものですから、そこで使われないことばはたくさんあるでしょうが、何の気兼ねもなく、どんな疑問が出されてもいいはずの学校でも、この問いは滅多に取り上げられることはありません。小中高はいうまでもなく、大学や大学院でも「生きる意味」をテーマとするゼミはないのではないかと思います。
 やはりこの問いはどこか気恥ずかしくて取り上げにくいのです。
 若かった頃、道を歩いていて突然「生きる意味は何だと思いますか?」と問いかけられて「ギョッ」としたことを思い出します。「急ぎますので」とかわしながら、「そんなことを公道の真ん中で聞くなよ」とかすかな怒りを覚えました。「余計なお世話だ」という反発を感じたと言ってもいい。
 この問いは気恥ずかしいだけではなく、どこかアブナイところがあります。あのうら若い女性はどこかの宗教団体に属していて、ぼくを勧誘しようとしていたに違いありません。だれかれなしに声をかけている訳でもなかったようですから、ぼくは生きる意味を見失って虚ろな眼をしていたのかもしれません。

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