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飛ぶ矢 [『末燈鈔』を読む(その131)]

(3)飛ぶ矢

 「他力のなかの他力」という言い回しなら取り立てて問題を感じないのに、「他力のなかにまた他力がある」となると、ちょっと待てよとなるのはどういうことでしょう。
 こんなイメージが膨らみます。まず他力と自力に分けます。しかし他力のなかでまた他力と自力に分かれて「他力のなかの他力」と「他力のなかの自力」となるとしますと、「他力のなかの他力」のなかでもまた他力と自力に分かれ、「他力のなかの他力のなかの他力」と「他力のなかの他力のなかの自力」となり、こんどは「他力のなかの他力のなかの他力」のなかがまたもや…、いやはやこれでは切りがありません。
 ゼノンの「飛ぶ矢」を思い出します。飛ぶ矢は、的に当たるためには的までの中間地点Aを通過しなければなりません。そして、そのA点から的に到達するためには、A点から的までの中間地点Bを通過しなければならず、以下同じで、切りがありません。ゼノンはここから、無限の地点を通過することは不可能だから、「矢は飛ばない」という驚くべき結論を出しました。
 これは無限をどう捉えるかという難問です。いまはこの問題に深入りすることはできませんが、とにかく「切りがない」ことだけは確かです。他力が「他力のなかの他力」と「他力のなかの自力」に分かれるとしますと、「他力のなかの他力」は「他力のなかの他力のなかの他力」と「他力のなかの他力のなかの自力」に分かれ…、といった具合に切りがありません。
 相対的というのはそういうことです。Aさんは非常に美しいが、その美しさはBさんには及ばず、しかしBさんはまたCさんには劣り、CさんはさらにDさんに見劣りする、といった具合で切りがありません。いや、もうこれ以上美しい人はいないところに至ると言われるでしょうか。なるほどこれまで生きている人ではそうかもしれませんが、これから生まれてくる人たちまで考えれば、切りはありません。
 さて、他力と自力も同じように相対的でしょうか。


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