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願生彼国 [『唯信鈔文意』を読む(その56)]

(11)願生彼国

 親鸞は本願成就文、「願生彼国 即得往生 住不退転(かの国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せん)」にすべてを解く鍵があると考えていたと言えます。願生彼国とは「帰りたい」と願うことに他なりませんが、そう願ったとき直ちに(「ときをへず日をへだて」ずして)帰れるというのが即得往生です。
 願生したそのときに往生すると。
 ただ、「すなはち往生す」と言っても、それは「正定聚のくらゐにさだまる(必ず往生できる身となる)」ということです。しかし「正定聚のくらゐにさだまる」ことは「往生する」ことに〈ひとしい〉ですから、即得往生といわれます。ここに注目したところに親鸞の慧眼があると言わなければなりません。
 さてここで考えたいと思いますのは願生彼国ということばです。本願では欲生我国ということばが使われています。欣求浄土とも言います。
 願も欲も求も同じで、要するに「願う」ということ。浄土に生まれたいと「願う」と、そのときに浄土に生まれることができるというのですが、これは普通の「願う」とよほど違うと言わなければなりません。普通は、願ってその場で叶えられることなどまずありません。願うことは必要ですが、それだけで実現するほど世の中甘くはありません。願いが叶うよう一生懸命努力することでようやく実現されます。
 すぐ前のところで考えましたように(9)、美味しい食べ物を口にしたいと願っても、その場で「棚からぼたもち」というわけにはいきません。長い行列について順番を「待つ」ことが必要です。さらには、そんなふうに苦労しても必ず叶えられるわけではなく、自分のすぐ前で売り切れという可能性もあるのです。


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