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即の時に必定に入る [はじめての『尊号真像銘文』(その49)]

(11)即の時に必定に入る

 『無量寿経』と『首楞厳経』の経文につづいて、これから高僧たちの文が取り上げられていきますが、まずは龍樹の『十住毘婆沙論』です。
 この文は「行巻」にも引かれ、また正信偈にも「憶念弥陀仏本願(弥陀仏の本願を憶念すれば)、自然即時入必定(自然に即時必定に入る)」と詠われています。親鸞は龍樹の「人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、即の時に必定に入る」ということばを、弥陀の本願を信じたそのとき、必ず仏になるべき身である正定聚不退の位につくと読み、ここに浄土思想のエッセンスがあるとみたのです。親鸞浄土教の核心と言っていい「現生正定聚」の根拠がここにあるということです。
 注目したいのは、親鸞が「行巻」において、善導のいわゆる「六字釈(南無阿弥陀仏の注釈)」について述べているくだりで『十住毘婆沙論』を参照していることです。善導の文を上げますと、「南無といふは、すなはちこれ帰命なり。またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふは、すなはちこれその行なり。この義をもてのゆへに、かならず往生をう(必得往生)」とあります。この「必得往生」について親鸞は次のように述べているのです、「必得往生といふは、不退のくらゐにいたることをうることをあらはす。経には即得といへり。釈には必定といへり。即の言は願力をきくによりて報土の真因決定する時剋の極促(じこくのごくそく)を光闡(こうせん)するなり」と。
 この「行巻」の文で「経には即得といへり」とありますのは、『無量寿経』の第18願成就文の「即得往生」を指します。そして「釈には必定といへり」とあるのが、この龍樹の文の「即時入必定」を指しているのです。善導が「必得往生」というのは、経の「即得往生」や龍樹の「即時入必定」と同じであり、直ちに不退の位につくことを意味しているのだと言っているのです。そしてさらに「即」を「時剋の極促」と言っていることも目を引きます。まったく同じ表現が「信巻」にもあり、こう言っています、「信楽に一念あり。一念といふは、これ信楽開発(かいほつ)の時剋の極促をあらはし」と(「時剋の極促」とは、ひらたくいえば「ときのきわまり」であり、きわめて短い時間を指すと考えていいでしょう)。

タグ:親鸞を読む
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