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5帖おふみ [「『おふみ』を読む」その5]

(5)5帖おふみ

最初の「おふみ」とされるのが、寛正2年(1461)に金森〈かねがもり、滋賀県守山市〉の道西(どうさい)に下されたものです。蓮如47歳のときで、それから84歳まで書き続けたものをすべて集計しますと252通にも上ると言われます(数え方で数字はゆれます)。蓮如の子である第9代法主・実如がそれらのなかから80通を選び、5帖にまとめたとされます(『5帖おふみ』)。第1帖から第4帖までの58通は、年代別に早い順に並べられ、第5帖22通は、いつ書かれたか記されていない比較的短いものが集められています。この第5帖は真宗の教えを簡潔に述べたものとしておそらく最初に編集されたと考えられ、これだけを別に出版することもあったようです。

さて書かれた年代の分かるもの(第1~4帖)を、時代順に整理してみましょう。

  吉崎時代 1・1から3・10まで40通

  出口時代 3・11から4・4まで7通

  山科時代 4.5から4・9まで5通

  大坂時代 4.10から4.15まで6通

吉崎時代が他を圧倒しています。蓮如が吉崎に滞在したのはたったの4年にすぎませんが、この4年がいかに疾風怒濤の時代であったかがうかがえます。2・13は文明6年7月3日、2・14は7月5日、2・15は7月9日、3・1は7月14日といった具合で、矢継ぎ早に出されていることが分かります。おびただしい数の人たちが吉崎に押し寄せてきて、それだけ教化が進んだということですが、それは同時に、さまざまな問題が露呈してくるということでもあります。それに対応すべく蓮如は獅子奮迅の働きを見せなければなりませんでした。


タグ:親鸞を読む
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