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文明3年7月 [「『おふみ』を読む」その13]

(13)文明3年7月

この「おふみ」の日付に注目しましょう。文明3年というのは、蓮如が吉崎に移ったその年です。4月にこの地に来て、7月にこれが書かれているのです。吉崎御坊の礎が築かれだしたばかりで、まだ周囲は「虎狼(ころう)のすみなれし」山中であったと思われます。蓮如自身がその頃のことを1・8で次のように記録しています。

文明第三、初夏(4月)上旬のころより、江州(近江)志賀郡(しがのごおり)大津三井寺南別所辺より、なにとなく、ふとしのびいでて、越前・加賀、諸所を経回(けいがい、巡り歩く)せしめおわりぬ。よって、当国細呂宜郷内(ほそろぎごうのうち)吉崎というこの在所、すぐれておもしろきあいだ、年年虎狼のすみなれしこの山中をひきたいらげて、七月二十七日より、かたのごとく一宇を建立して、昨日今日とすぎゆくほどに、はや三年の春秋はおくりけり」(文明5年9月)。

「山中をひきたいらげて」とありますが、現地を訪ねてみますと、文字通り山の上を平らにして、かなりの広さの敷地を造成してあることが分かります。7月27日に「一宇を建立」とありますから、この頃は多くの人が集まってきて、辺りに建設の槌音が響いていたことだろうと思われます。突然「古歌」が登場して、身にもあまるよろこびに言及しているのは、おそらく吉崎という新天地をえて、しかも予想をこえる成功の兆しによろこびがあふれ出たのだろうと推測されます。「むかし」と「こよい」を比較して、思い切って北陸の地に移ったことの正しさを噛みしめていると思うのです。

それが文面上では、むかしの「念仏だにももうせば、往生するとばかりおもいつるこころ」と、こよいの「信心決定のうえに、仏恩報尽のために念仏もうすこころ」の対比となっています。むかしのこころでは「そでにつつむ」程度のよろこびだったが、こよいのこころは「身にもあまる」よろこびである、と。これはこれから繰り返し、巻き返し説き続けられる通奏低音です。

(第1回 完)


タグ:親鸞を読む
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